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50歳のうめめだかが感じたことやオフタイムのこと、好きな物のこと、趣味etcについてひとりごつ。  SINCE 2005.7.12

私的回想 1989

私的回想 1989

今日は久しぶりに港の見える丘公園にきました。「須賀敦子の世界展」がやっているからです。

それにしても港の見える丘まで上がるのは何年ぶりでしょう。下の元町までは行ってもあがることはなかったので、おそらく、10年以上ぶりです。いやもっとかも。

よく港の見える丘にきたのは1989年のベイブリッジ開通の1,2年。

1989年は1月に昭和から平成に年号が変わり、11月にはベルリンの壁が崩壊しました。ベイブリッジは9月末に開通しました。

あの頃の私は高校1年生。人生で初めておつきあいした当時の彼とよく開通したばかりのベイブリッジを眺めにこの公園に出掛けたのでした。いまじゃ信じられませんが、ベイブリッジに車を止めて港を眺めたりしました。(ちなみにベイブリッジは高速道路です!その当時はみんなそうしていました。)

あの頃はなんだかおとぎの国のように見えた公園が大学生になり、その後も行くたびに特になにも感じなくなっていきました。それから行くこともなくなり、もう何年も。

あの頃の私はまだ子供で文学青年だった彼と文学について全く話すこともなく、なんだかまともな会話も出来なかった気がします。大学も3年を過ぎた辺りからやっと読書するようになったのでした。彼が好きだった神保町にもよく行くようになったし。

ずっと心の中に、あの文学青年だった彼ともう少し大人になって再会していたら、どんなに話ができただろうとか、当時の担任だった社会の先生があのベルリンの壁の崩壊をどんな風に感じたのか、自分の思想を押し付けたり、どんな思想を持っているか披露する人ではなかったけれど、確固たる考えのある人だったので、聞いてみたかったなど、たまに考えたりします。

生きていても会いたいと思っても会えない人というのが、何人かいますね。恋愛感情のひきずりというわけでなくて、単純な人間関係を取り戻したくても会えなくなってしまった人。最近、このままどうにもしなければ、会えないまま人生が終わってしまうのかもと思ったりします。いつもは日々の生活ばかりで、そんなことを考えている暇もないんですが。

「多崎つくる」のようになにかの掛け違いや知らない間に他人を傷つけていたりするケースがあったり、単なるプライドで、自分から切り出さないまま、会わなくなってしまったなど、原因は無数にあると思います。

久々に港の見える丘に立ったら、ふと25年前の記憶がよみがえり、なんだかノスタルジーにやられてしまいました。