Neutral 〜ニュートラル

50歳のうめめだかが感じたことやオフタイムのこと、好きな物のこと、趣味etcについてひとりごつ。  SINCE 2005.7.12

読書熱

200705222200000 ここ最近、また読書熱が出てきました。

今週末になかなか書かずにいた村上春樹訳の“グレート・ギャツビー”の感想文を書き終え、やっと本腰をいれて本格的な読書に入れると思いました。

その感想文(まるで宿題のようですが、単なる趣味です)が終らないばっかりにエッセイなどさらっと読めるものでお茶を濁してきましたが、大きい本屋に行くとあれもこれも読んでないという感じで、もっと学生のときにいわゆる文学作品を読むべきだったと痛感。

そしてまずは手始めに薄ーい文庫本のフランソワーズ・サガンの『悲しみよこんにちは』(BONJOUR TRISTESSE)を読みました。

悲しみよこんにちは』と聞くとパッと浮かぶのが斉藤由貴という私世代の方も多いのではないかと思います。(笑) それはさておき、この本ですがあまりにも先が気になり、3日ほどで読みおわりました。

フランソワーズ・サガンが1954年に、この作品をかいたのは18歳の時。そう考えると本当に天才だと思います。

主人公のセシルは17歳で、その父はヤモメで『年齢のない男達たち』と表現しているように、若々しく、女たらし。その父とセシルは2人で自由で陽気で愉快に暮らしていた。その年の夏はパリから移動して南仏の別荘で過ごした。その別荘での出来事がこの話の中心となる。その別荘ではセシルと父と父の愛人エルザとの3人奇妙な生活が始まり、そこに亡き母の友人だった42歳のアンヌが現れ、その知性的で聡明で、洗練されたアンヌと父が一夜のうちに結婚を決めてしまって、セシルは父とアンヌを引き離そうとし、策略のシナリオを考え、彼氏であるシリルと父に振られたエルザと共謀して、それを実行する。その続きは書きませんが、なかなか面白い展開で、先が気になる話です。

それにしても、18歳でこれを書いたってすごい。その当時のサガンがこの話に出てくるセシルそのもので、シニックで、クールで、知的で大人びているけれど、体は子供らしいそんな少女のような大人のような女性だったのかなと想像してしまいます。

主人公セシルは大人びたところと、ずる賢さと、父離れできない子供なところを持ち合わせていて、モラトリアムから抜け出せない少女がこの夏の経験によって、深く考えさせられ大人になっていく心情の表現が素晴らしいと思いました。さらに、この小説の舞台背景もいかにも粋に暮らす、美しいパリジャンたちが描かれていて、南仏でのバカンスの生活ぶりが今から50年前という古さを感じさせない鮮やかさを放っていて、さすがフランス文学という感じがしてしまいました。(でも、そういうと日本文学は古臭いかというと、漱石志賀直哉などを読んでも、さして古さを私は感じないので、いつの時代も粋な人は粋なんだと思ったわけです。)

それにしても、短い話ですが、シンプルな中にサガンの知的なエッセンスがひかり、面白かったです。