Neutral 〜ニュートラル

50歳のうめめだかが感じたことやオフタイムのこと、好きな物のこと、趣味etcについてひとりごつ。  SINCE 2005.7.12

レオナルド・ダ・ヴィンチ展

200511050055000 今日は会社帰りに六本木ヒルズ森美術館で行われている”レオナルド・ダ・ヴィンチ展”に行って来ました。ビル・ゲイツが所蔵しているダ・ヴィンチのアイデアが書かれた”レスター手稿”のオリジナルが今回の目玉。もともとレスター伯という人が所蔵していたことで、この名がついたと”ダ・ヴィンチ・コード”には書かれていた。

まえまえから、興味があったレオナルド・ダ・ヴィンチ。イタリアのフィレンツェ近くのヴィンチ村で生まれた。だから名前はヴィンチ村のレオナルド。

公証人の父とその使用人だった母との間に私生児として生まれ、愛情には恵まれなかったという。芸術・科学においては天才だった。しかし、同性愛や行動が異端的などの疑惑により、当時の教皇から嫌われ、イタリアを去る前の人生は不遇だった。未完成の作品は多いが、ベストセラー”ダ・ヴィンチ・コード”での謎解きにも使われているミラノのサンタマリア・デッレ・グラツィエ教会の食堂の壁に描かれたテンペラ画の”最後の晩餐”は大変有名。

その後、晩年のダ・ヴィンチはフランスの国王フランソワ1世に招かれ、ロワール川流域のアンボワーズ城近くのクロ・リュセという館で過ごしたという。フィレンツェの方向を向いて、絵を描いていたという。スフマート技法を使った、今ではフランスの国宝ともいえるルーブル美術館所蔵の”モナリザ”はこの館で仕上げられたという。

ヴィンチ村には行ったことはないけれど、フィレンツェにもローマにもミラノにも何度となくいって、ダ・ヴィンチの絵は見たし、最後に亡くなった地でもあるアンボワーズにも行った。フランソワ1世に招かれた時、ロワール川のほとりのシャンボール城ダ・ヴィンチが構想したとされる二重螺旋階段も見た。だから、ダ・ヴィンチには興味があった。”レスター手稿”はこの公開を終えるといつ日本で見られるか分からないらしい。鏡文字(鏡に映すと正しい向きで読むことが出来る)でイタリア語で描かれているので、正直難しいが、興味深い。ダ・ヴィンチが500年近く前にこの手稿を描いたと思うと古の時にタイムトリップしたような気になる。

偉大なるダ・ヴィンチの作品をまた、この目で見に行くと心に誓った私だった。

人気blogランキングに参加しています←Plese!! Cleck here.只今37位です。