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50歳のうめめだかが感じたことやオフタイムのこと、好きな物のこと、趣味etcについてひとりごつ。  SINCE 2005.7.12

親愛なるジャック

親愛なるジャック

会うべくして会う本がある。不思議とうまいタイミングでそんな本に出会ったりします。

2012年においては初めて、会うべくして会った思った本がアーウィン・ショー著『ローマは光のなかに』(原題Two Weeks In Another Town)。

主人公ジャック・アンドラスは第二次大戦前にはジェイムズ・ロイヤルという名の俳優でアメリカで活躍していた。大戦後復員した時には負傷を負い、顔の形が変わっていた。死を目の当たりにして俳優という仕事に戻る気がなくなってしまった。彼は大戦後、2回目の離婚を機にアメリカを捨てて、ヨーロッパに渡った。たまたまNATOの仕事に出会い、そこで官僚になり、3回目の結婚をしてパリに暮らすことにした。そんなある日、アメリカにいたころの友人である映画監督のデラニーに俳優の吹き替えを極秘裏に頼まれた。彼とはアメリカを離れてから数十年疎遠になっていた。そして、ジャックはデラニーが撮影をするローマのシネチッタ撮影所で吹き替えの仕事を引き受け、パリからローマへ向かった。

ラニーとジャックが組んでいた戦前の作品は素晴らしかった。最近のデラニーは気に入らないと脚本を自ら書き変えては台無しにしていた。ジャックは長年の間疎遠にしていた友情に答えるべく、ローマに来たのだった。

ローマでは着いて早々にホテルの前で知らない男にめまいがするほど殴られ、時折不気味な鼻血をだし、死ということを感じたりする。フランス人の皮肉屋で記者であり、ここ最近は戦場記者といて知られるデスピエールと再会し、その連れで会ったヴェロニカと出会い、束の間に愛したりする。そして、ヴェロニカの恋人だという青年ブレザックにナイフを突き付けられ、脅かされたりする。

そうこうしている間に突然ヴェロニカが彼らのもとを去り、ブレザックとともに彼女を探す。いつの間にか、ジャックはブレザックに1度目の結婚でもうけた自分を敵視する息子に重ねたりする。ジャックはヴェロニカを探すうちにブレザックが書いた脚本を読み、才能があることがわかりデラニーに引き合わせることにするが、その日デラニーはジャックとブレザック2人の目の前で馬から落馬し、危篤状態になる。ここでも死の予感を感じたが、死の予感はデラニーでなく、一通の封筒に最後の原稿をいれ、ジャックに渡しアルジェリアの戦場に行った、旧友デスピエールの死だった。そしてデラニーの意識が戻った。デラニーが回復するまで、ジャックがプロデューサーをし、ブレザックが助手を行うことをデラニーも認め、大筋決まったが、デラニーの妻でデラニーの浮気にもいつも耐えてきた糟糠の妻ともいうべきクララがジャックがデラニーの代わりにプロデューサーをすることを裏切りとみなし、デラニーとジャックの約束を反古し、絶交させた。デラニーも妻を前に、ジャックにローマから出て行けとしか言えなかった。

ジャックはパリに帰ることにした。ジャックは駄作しか作れなくなってしまったかつての親友が自分とまた組み起死回生を計って呼び寄せたことを知り、はじめは2週間のつもりだったが仕事を捨てて、デラニーの怪我を機にローマに残り彼の為に働きたいと思っていた。そして、自分に合わない官僚生活をもうやめにして、家族をローマに呼び寄せ、自分なりの仕事をしてもいいのではないかと思い始めていた。そしてデラニーを疎遠にした裏切りのような日々を償いたかった。なぜなら、デラニーと組んで映画をつくっていたころが彼の人生で最良の時代だったから。デラニーも昔のようにジャックと組むために呼び寄せたはずだったが、長年連れ添った妻を最後には取ったのだった。

読み進めていくと彼の人間性に魅かれていくのです。ジャックは傍から見ればバツ2で、俳優業を辞めてアメリカを去り、官僚になり、現実から逃げた人物のような印象ですが、その理由を他人には言わないけれど、彼の中にはそれなりの理由と美学があるのです。たぶんそこが他人には理解されずらいのでしょう。疎遠にしていたデラニーには伝わらなかったわけではないと思いますが、彼の妻クララには全く理解できなかったのだと思います。これは性差の問題なのでしょうか?女性だからでしょうか。

この本を読み終えたときに、私は偶然にももう5,6年会わなかった友人に会いました。私にとっても最良とまでいかなくても、いい時代であったことを間違いない時代にいつも一緒にいた友人です。私もジャックと同じような気持ちが去来しました。

悲しいことにジャックは償いを果たすことはできなかった。それは疎遠の時間が長すぎたのかもしれない、いやそれだけが理由ではないのかもしれません。私の中には(もしかするとジャックの心の中にも)真の友情があれば、何年の時間があいても気持ちさえあれば、時間は超越するはずという気持ちがあったのだと思います。でもこの小説を読んで、時間があきすぎると、相手は同じ気持ちではないこともあるし、その相手の最愛の人は自分を理解してくれることはまずないという事実があることをハッとさせられたのでした。

しかし、この主人公ジャックという人物は、たとえば『華麗なるギャッツビー』のギャッツビーや『日はまた昇る』のジェイクと並ぶほど私にとっては魅力的な人物なのです。

この小説の中に、デラニーが撮影できない間にブレザックが助手としてやっと映画界で働くことになって、貧乏生活から脱出できるようになったお祝いにブレザックとハンガリー人のブレザックの友人マックスとジャックで高級レストランの”パセット”に食事しに行くシーンがあります。私がもう10年ちかく前に初めてローマのナヴォーナ広場のレストラン”パセット”に行ったときにギャングオブニューヨークの撮影でデカプリオがこの店に来たと言われ、この店って映画関係の人がたくさん来るんだなーと思ったことを覚えてますが、その店がこの小説の中に出てきて、ワオと思ってしまいました。しかし、その後3,4年前ですがその店がぼったくりの店として、営業停止になったことを聞いた時にはすごくショックでした。

そんなことを思い出させてくれたのも、この本が会うべくして会う本だったからかしら・・・。