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50歳のうめめだかが感じたことやオフタイムのこと、好きな物のこと、趣味etcについてひとりごつ。  SINCE 2005.7.12

『本格小説』を読み終えました

先日からブログに書いていた水村美苗さんの『本格小説』を読み終えました。

51zq4mq58cl 結構のボリュームで上下巻あるんですが、面白かったですねー。

戦後すぐから今に至るまでの時代の中で、東太郎というアメリカンドリームをつかんだ日本人実業家を辿っていくうちに、そこに大きく関わった、隣り合わせに住まいを構えていた三枝家と重光家とその中でも大きく東太郎と関わった三枝家の次女夏絵が嫁いだ宇多川家。そのさらに娘のよう子と宇多川家に”女中”として働いた土屋冨美子と東太郎がどのように生きたのか、そんな女達の人生も書かれているのです。

はじめは作者水村さん自身が家族でニューヨークに赴任していたときに出会った東太郎の印象が書かれ、そのあとに壮年になった東太郎と軽井沢で出会った祐介という青年がアメリカで講師をしていた水村さんに運んできた土屋冨美子が語った東太郎とよう子、そしてそれを取り巻く人々の話は主に水村さんがアメリカで東太郎と会う前のことが中心となります。

東太郎が宇多川家の敷地の中の貸家に親戚家族と身を寄せて、程なくよう子と子供ながらにどんどんと二人の世界を広げていくことから始まります。親戚に引き取られた太郎はことごとく、虐げられ、友だちもおらず、いつもみすぼらしい姿でいるのでした。それを宇多川家の先代の後家であるおばあさまが太郎に愛情をかけ、他人とは思えないほどによう子と分け隔てなく、かわいがったのでした。

51prfnw7h4l もちろん、よう子の母夏絵の実家の三枝家は身分違いの二人が兄弟のように過ごすのを良く思っていなかったので、それをさとられないようにサポートしていたのが”女中”の冨美子でした。太郎とよう子も高校生となり、太郎をかわいがった宇多川のおばあさまが亡くなり、北海道に転勤で移った宇多川家と太郎は離れ離れになりましたが、よう子と太郎は隠れて文通をしていたのでした。大人になって男女として惹かれあう二人ですが、軽井沢でのある”不始末”をきっかけに会わなくなってしまいます。そして、太郎はアメリカに発ったのでした。

その後、太郎はアメリカで飛ぶ鳥を落とすように、成功して行き、億万長者になったのでした。その太郎の話を祐介が水村さんに運んできたときには、すでに東太郎は行方知れずになっていたのです。

アメリカで成功したあと、ビジネスも兼ねて日本にも度々帰国するようになった東太郎とよう子は再び逢うようになってました。すでによう子は三枝家と成城、軽井沢の両住まいを隣に構えている重光家の雅之と結婚していたのです。その二人の間には深雪という娘もいました。雅之も東太郎とよう子の中を容認するように3人は不思議な関係を築いていたのです。

土屋冨美子は宇多川家が札幌に引っ越すと同時に結婚をしましたが、すぐに離婚し、太郎がアメリカに発って少ししてから、再婚したのでした。それでも冨美子と三枝家の縁は切れず、さらにことあるごとにサポートしていた東太郎との縁も切れずにいました。秘密裏に東太郎が買い取った宇多川家の追分の別荘の管理や、東京の事務所の仕事を引きうけ、経済面での関わりもありました。

よう子の母方の三枝家の軽井沢の別荘で祐介がよう子の母夏絵を含む三枝三姉妹と出会った頃には、よう子も雅之もその他多くの三枝家と重光家、宇多川家の人が亡くなってしまっていました。そして、その時に三枝家の軽井沢の別荘や追分の宇多川家の別荘を所有していたのは東太郎なのでした。太郎が日本に別れを告げるその夏にそれらの別荘は土屋冨美子に譲渡されたのですが、東太郎と冨美子というのも、大きな関わり合いを持っていたことが、その事実を知り抱えきれなくなった三枝家の三女冬絵から祐介に知らされたのでした。これはとても驚く展開なのですが、実在する人物の話だという小説の中に語りを信じると、とてもリアリティがあるように感じられるのでした。でも実はその語りさえも、小説の一部なのかもしれないとも思うのですが、実在であるかどうかは大きな問題ではないと私は思うのです。

戦後すぐの混沌とした時代が終わりに、日本が高度経済成長をしていき、バブルがはじけて今に至る長い時間の中で、他人である東太郎に愛情を持って関わっていった人々のやさしさと、出生などによって差別を受ける生きづらい時代の中で、アメリカに飛び出し成功した東太郎の強さと、こころの闇みたいなものがどこから生まれていたのかということを、紐解く大きなドラマなのです。そして、そこには狂おしいほどのよう子との愛が大きく関わっていたのでした。そのよう子と太郎の愛というのが長い時間をかけたものであり、運命的で本当に深いのです。

さらにこの物語の中には、いろんな人間模様が渦巻き、交錯しあっているのですが、ある意味それぞれが他人に対して、言い方はおかしいかもしれませんがお節介で、人間らしさに溢れてもいるのです。

すごく巧みな構成で出来ているし、水村さんが好んだ日本近代文学的な語り口がなんとも心地よいのでした。これが本当にあった話なら、すごいなーって思うし、それぞれのやさしさと切なさと淋しさがワァーと押し寄せてくる物語なのでした。

是非、読んでいただきたいです。