Neutral 〜ニュートラル

50歳のうめめだかが感じたことやオフタイムのこと、好きな物のこと、趣味etcについてひとりごつ。  SINCE 2005.7.12

グッバイ、レーニン!

s_l05 今日は家の中にずっといて、映画三昧。

3本ほど映画を見ましたが、その中で『グッバイ、レーニン!』(←HPを開くと音が出ますのでご注意ください)について書きたいと思います。

この映画を初めて見たのは、昨年の初めの頃にたしか、全日空の機内で。公開されたのは2003年らしいです。

ちょうど、そのとき東欧のツアーでベルリンにも行くことになっている旅程だったので、大変興味を持って見た覚えがあります。

舞台は1989年10月の東ベルリン。東西冷戦の象徴といえる“ベルリンの壁”が西ベルリンのまわりに築かれていた頃。しかし、その1ヵ月後に壁は崩壊した。

主人公アレックスはベルリンの壁の崩壊の前、さかんに行われていた学生デモに参加していた。アレックスの母は父が西側に亡命してからは、教師として社会主義教育を熱心に行い、勲章をもらったこともある人だった。

ある日、アレックスが学生デモに参加し連行されるところを目撃してしまった母は持病であった心臓の発作が起き、倒れてしまった。主治医は昏睡状態で目が覚めない母について、もう一度発作が起きたら、命の保証はないと言う。

母が昏睡状態から目が覚めたとき、すでに世界は変わっていた。ベルリンの壁は崩壊し、西側の資本主義経済が東ドイツ側に持ち込まれ、東西ドイツの統一に伴い、東ドイツDDR=ドイツ民主主義共和国)はなくなってしまった。

社会主義を疑わず、社会主義に人生を捧げ、教育者として生きてきた母がこの現実を知ったら、また発作を起こすとアレックスは思い、母には何も変わっていないと思わせるように姉と周囲の人々に協力してもらい、画策する。

例えば、東西ドイツの統一に伴い、資本主義経済が導入されたために、東側の企業は倒産を余儀なくされた。街のスーパーの商品はすべて西側で造られたものに変わっていく。アレックスは母に気づかれないように、東側で造られていた古い空きビンをゴミ箱から拾っては、煮沸し、西側の製品を詰め替えたりして、母に出した。また、偽のニュース番組を友人を巻き込んで自分で製作して、ビデオに撮って、母に見せたりする。その真剣な様子は、かえって滑稽に映る。

でも、現実をいつまでも偽ることは出来ない。初めは母のためだけにしていたアレックスであるが、変わらない東ドイツという仮想を作り出すことによって、自分の理想の世界も投影させていた。

その先の展開は、亡命していた父との再会があったりという感じで、感動してしまう場面も続くのだが、このあと見る人もいるので言わないことにします。

この映画の中には私が、よく知ることが出来なかったその当時のベルリンの姿が忠実に描かれている。例えば、東ドイツマルクと西ドイツマルクの交換の様子や資本主義経済がどんな風に入ってきたか、どんな人々が失業して行ったか。ベルリンに行く予定がある方は必見だと思います。

去年あたりから『オスタルジー』という言葉がヨーロッパの主に旧東側であった地域では流行っていたでんですが、ご存知でしょうか?

オスト=東とノスタルジー≒郷愁をあわせた造語。旧東側で造られていた製品は資本主義経済の製品と違って競争性がなかったために、広告も商品のパッケージも製品自体も素朴で、シンプルなものが多く、そういう製品を復刻させるというムーブメントだった。

もちろん統一により、東側の製品がすべてなくなったのかというと、一部の製品は西側の企業に買収されて、再度販売されたものもある。なぜ、15年以上経った今、そのような言葉が出てきたのか、外国人である私にははっきりとはわからないが、事実として東西の経済格差、旧東側の失業の多さや旧東と西の人とのメンタリティーの違いなど、今現在でも多少なりとも東と西というものが存在しているというのと、統一を望んだが予想出来なかった急激な変化に対して、素朴でのんびりとしていた旧東側での生活への郷愁というものがあるのではないかと勝手ながら分析する。

1961年8月13日一夜にして、東ドイツの中で特別地区である首都ベルリンの英・仏・米の自由主義国が統括する西ベルリンを取り囲む形でソ連によって築かれたという”ベルリンの壁”は1989年11月10日に崩壊した。そのとき、私は16歳。高校生の私はバブルの絶頂の中、バブリー気分な高校時代を送っていて、遠いドイツのベルリンの壁の崩壊さえ、映像を見ただけで、その奥にあるものを知ろうともしなかった。子どもだったなと思ってしまう。

今の私はその頃に比べると大人になったと思う。

人気blogランキングに参加しています←Plese!! Cleck here.