”愛のあとにくるもの”を読みました
以前の”愛のあとにくるもの”について書いたブログを読み返してみたら、2006年でした。そんなに時間が経っていたのかと、ビックリしました。
この小説は男女の主人公の目線からみた、一対の小説です。前回は男性の主人公潤吾から描かれた辻仁成著の小説で、今回は韓国人女性の紅から描かれた孔枝泳著の小説を読みました。
いまさらながら思うのですが、たぶん日本人男性の目から書いた小説だけだったら、普通の小説だと思うんです。それでも、かなり心を揺さぶられましたが...。この一対の小説のポイントは韓国人女性の主人公で韓国人である著者が書いたことだと思います。
なので、今回韓国人女性からの目線で書かれた方を読んで、この小説の重要な部分を読んだ気がします。
主人公は韓国人留学生である崔紅(チェ・ホン)。日本に留学していたときに出会った潤吾のことがずっと忘れられずに、韓国で父の倒産しかかった出版社で働いています。潤吾と別れてしまってから、7年が経っています。彼女が彼のもとを去ってから、潤吾は本名を使わず、佐々江光というペンネームで二人を題材にした『韓国の友人、日本の友人』という小説を書き上げていました。そして、韓国で読者イベントがあり彼は韓国へ向かいました。佐々江光という日本人の作家が来る日に突然通訳が倒れ、ピンチヒッターで空港へ向かった紅が迎えた佐々江光は潤吾だったのです。
そして、紅からの目線でこの二人の過去と再会が描かれる。また、この先は読んでからのお楽しみです。
7年の歳月と切なさがこみ上げる繊細さで、とてもよかったです。
<quotation>
あのころ、今の現実を想像できなかった私はあさはかだった。愛されないことより、もっと悲しいのは愛することができないということにあとになって気づくから...
この話のぐっと来るところは、(ネタばれかも知れませんが...)紅は東京にいるときに井の頭公園をいつも走っていました。潤吾がアルバイトに明け暮れていたころです。7年後、29歳になった今も紅はずっと走っていました。せっかく再会したのに、彼を拒んだ紅に対して、彼は言葉でなく、紅とともに走り、7年間、彼も走りこんでいたこと証明し、変わらない愛を持ち続けていたことを示すシーンはとてもよかったです。
お互いに7年も会わずに、忘れられないような、もどかしい純愛が果たして存在するのか?正直、私にはわかりません。
この小説は韓国人である著者が書くからこそ、日本人からは、なかなか表面的に理解できない思いが描かれていて、とても興味深いです。今までも疑問は持ってきたけれど、私たちが学んだ日韓に関した歴史は果たして、すべての事実を伝えていたのか?そんなことも考えてしまう私でした。